今日は「半衿」について少し調べてみました。
半衿の名前の由来は本衿の長さの半分程度しかないためと言われているそうです。
平安の頃から衿元を美しく重ねる風習はありましたが、今のように別布を掛けるようになったのは江戸時代中期から。
江戸時代に結髪が普及したことで鬢付け(びんつけ)油での汚れを防ぐために、黒い掛け衿をし、衣紋を抜くようになりました。
江戸時代の浮世絵を資料として探しましたが、今でいう「半衿の部分のみ黒」の資料は見つからず、着物の掛け衿が黒いものだけ見つかりました。↓
(喜多川歌麿)
(歌川国貞)
(鈴木春信)
(歌川豊国)
そして今でいう「半衿」の部分は上の資料から分かるように、茶や紫や緋色(若い子向け)の鹿の子絞りが流行っていたようです。刺繍半衿も江戸時代からありました。
現在より半衿を見せていますね。
絵のモデルの時は綺麗な半衿をして、普段は黒半衿だったのかは私の調べたところでは分かりませんでした。
幕末明治の女性の写真では黒半衿を見つけることができました。↓
白黒写真だと本当に真っ黒な半衿だったのかは判別できませんね。
昔は布が貴重だったので、晴れの日には白半衿を使い、汚れたら淡い色半衿にし、さらに濃く染めるようなこともしていたようです。
明治大正は着物が地味だった分、おしゃれ目的で総絞りや刺繍や友禅染など華やかな半衿が流行ったそうです。
現在はフォーマルの時は白、柔らかものには着物に合わせた淡い色、織りの着物には濃い色柄物が合うとされています。
素材は塩瀬、縮緬、綸子、絽、麻など豊富です。
今回参考にさせてもらったのは「きもの文化検定公式教本①」と
さんびさん↓です。(外部に飛びます。)