前回の続きです。
「日本服飾史」さんのサイトで鎌倉時代の武家の装束資料を見たら、すでに草鞋(わらじ)+革足袋スタイルと草履(ぞうり)+革足袋スタイルがありました。↓
親指の所ですでに分かれているように見えますね。柄染しています。
室町時代でもまだ木綿はなかったので、足袋の素材は皮でした。柄染しているものもありましたが、色はそのままの黄色や紫に染めたものが多く、これは今の狂言や歌舞伎に名残を見ることが出来ます。
江戸時代になると皮から木綿に変わります。
これは
*鎖国により輸入に頼っていた皮が入りにくくなったこと
*明暦の大火(めいれきのたいか)により防火用として革羽織が大量に買い求められたこと
この2点によって皮(革)が不足・高騰したことが要因です。
皮の様に蒸れたり臭いがすることもなく、手入れもしやすく、履きやすく、加工(染めたり刺繍をしたり)がしやすいことで木綿足袋が主流になっていきます。
筒の長いタイプではなく短い物が一般的になり、足袋専門業者も出てきました。
色の流行は様々でしたが、白足袋が礼装に使われるようになりました。
徳川吉宗が鷹狩りで紺の足袋を履いた影響で紺が流行して、町人は特に好んだそうです。
では江戸では庶民もみんな足袋を履いていたのかというと、足袋はまだ高級品扱いで寒い冬のみ着用する人、または素足が粋だと履かなかった人もいたようです。
歌川広重の浮世絵を見てみましょう。↓
裕福そうな人は足袋を履いていますね。↑
「オシャレは我慢よ!」なのか、足袋が濡れたほうが寒いからなのか、雪の中素足です。↑
脱げないように紐が使われていた足袋に「こはぜ」やボタンが使われるようになったのは元禄の頃で、こはぜは最初は動物の骨や角などでした。
明治になり、「こはぜ」が金具になったり安価になり、庶民にもさらに広まっていきました。
以上、足袋の歴史でした😊
今回参考にさせて頂いたのは↓
「TABIの博物館」さん
http://fpouch.fc2web.com/rekishi3.html
「風俗博物館」さんです。
https://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=92