今日は「足袋」について少し調べてみました。
大まかに言うと、足袋のルーツは
①したうづ
②単皮(たんぴ)の2つにあるようです。
詳しく見ていきましょう😊↓
奈良や平安時代の公家は和沓(わぐつ)を履いていました。
例えばこちらの浅沓(あさぐつ)や↓(画像は「杉野学園衣裳博物館」さんより)
かの沓(かのぐつ)です。↓
(これらは今でも神事などで使われるそうです。)
靴型なので、この下に履くものも親指で分かれていない「したうづ」と呼ばれる今の靴下に似た形のものでした。↓(画像は「文化遺産オンライン」さんより)
「したうづ」の語源は「和沓の下に履く=下沓(したぐつ)」と言われています。
この頃の「したうづ」に今の足袋のような底はなく、2枚の布を縫い合わせていました。
素材は錦や絹や麻が使われていた(舞踊と蹴鞠用は皮だった)そうで、武家や庶民向けではなかったことが分かります。
公家の中でも「したうづ」を履くのは年齢や役職や季節で厳しく制限され、主君の前で履くのは失礼なことで、素足が礼儀とされていました。
「紐を結ぶこと」と「筒が長いこと」が明治まで使われていた足袋と共通しています。
平安時代の武家は何を履いていたかと言うと「単皮(たんぴ)」という猿や鹿の皮を使用した履物(外履き)でした。これが「足袋」の語源と言われています。
語源については他に、単皮は旅に行く時によく履くものだから「旅→足袋」説や、親指の所で別れているのが「4つの鼻」に見えることから「多鼻→足袋」説があるそうです。
この頃の単皮は足袋型ではなくまだ靴型(靴下型)でした。
平安時代の履物の資料として伴大納言絵詞を見てみました。↓
庶民は裸足、公家は浅沓ですね。↑
この武士が履いてるのが単皮?↑
お付きの人?は裸足に草鞋(わらじ)かな。
草鞋は足首に巻きつけるので脱ぎ履きし難いですが、長距離歩行や山歩きには重宝されたそうです。
今回はここまで。
長くなってしまったので、続きは次の記事にします😊
今回参考にさせて頂いたのは
「TABIの博物館」さん↓
http://fpouch.fc2web.com/rekishi1.html
「日本服飾史」さん